子供の頃、幸せって、もっと大きなものだと思っていた。
宝くじに当たって大金持ちになったり、
大成功して有名人になったり、
すごく遠い場所にあって、探しに行かなきゃ見つからないと思っていた。
童話の主人公たちだって、
虹のふもとに宝物があるって旅に出たり、
青い鳥を探しに森をさまよったりしていたから。
だけど、ちがった。
これまで当たり前だと思っていた「日常」こそ、何物にも変えがたい「特別」なものだった。
きっかけ① 体調を大きく崩した。
これは、経験ある人もいると思います。
私の場合は、高校生で慢性腎炎になったときと、結婚後に膠原病を発症したときでした。
入院している間、ベッドで起きあがることも辛く横になっているとき、
今まであった当たり前の毎日が、とても恋しかった。
堪えていないと不意に泣きたくなった。
きっかけ②大切な人とケンカをした。
ちょっとしたすれ違いから、友人とケンカをした。
いつも、言葉に出さなくても、なんとなくお互いの気持ちが分かっていた。
…分かっていたと思っていたけど、そうじゃないこともあると、初めて知った。
ケンカした次の日からお互い口をきかなくなって、毎日がちっとも楽しくなかった。
冗談言ったり、笑ったり、何気ない会話が楽しいのも、いつも隣にいてくれたからだと気づかされた。
たまらなくなって、どっちからともなく、仲直りした。仲直りしたら、また明日が楽しみになった。
きっかけ③死に直面したとき。
大切な人を失うことは、何より堪える。
「また今度ね」って言ってた約束も、
もう叶わない。
そして、自分が今生きているだけで、奇跡なのだと気づいた。
おはようってやって来る朝は、
当たり前ではないのだと。
正反対だと思っている事柄は、実は隣り合わせに存在していて、ある瞬間、いとも簡単に入れ替わってしまう。
私たちは日々何かに忙しく追われていて、幸せの本当の意味を見失なってしまうことがある。
辛いことも悲しいことも
人並みだけど経験して今思う。
私が一番欲しいと思っていた幸せとは、
はじめから、ずっと側にあったものたちなのだと。
さて、あなたにとっての「幸せ」とは?
その答えは、きっと毎日の中にあるはずです。